【クリスチャンとLGBTQ】人はみんな多面体である、という話
「あなたは敬虔なクリスチャンだけど、ぶっちゃけわたしがレズビアンだっていうことが引っかかったりすることってあったりする?」
先日、唐突にともだちにこう聞いてみました。
今日はそんな話です(。☉౪ ⊙。)
ともだちについて
その友人はアメリカ人で、Missionaryをやっている人、つまりキリスト教を広めるための活動をしている人で、彼女の旦那さんはPastor(牧師さん)です。
毎週日曜日には旦那さんのお勤め先の教会でミサ開催のお手伝いや、ホームレスへの炊き出しなどのボランティア活動も行います。
これまでにいろんな国へキリスト教の布教活動に行っていて、日本でも活動を2年ほどしていた経験があるそうです。
日常生活の中でも、聖書の教えを守ることはもちろん、時々わたしがたわいない会話の中で質問したりすると、
「わたしたちクリスチャンはこういう考え方なんだよ」というソフトなタッチで、聖書の話を教えてくれたり、
モルモン教はクリスチャンの一派ではない、と教えてくれたり、
なんかよく分からん聖書をベースにした新興宗教は大体アメリカ発信だよ、クレイジーだよね、と教えてくれたり(笑)
全く押し付けないけど、トリビア的にクリスチャンのことを教えてくれる
という、めっちゃ素敵なともだちです(。☉౪ ⊙。)
ともだちと言うと同世代のような響きですが、
30代にもなってくるといろんな年齢の人と知り合い、
特に英語圏にいると、かっちりとした敬語もなければ「先輩」という言葉もないので、日本ほど年齢で区分されることがなく、大学生くらいの若者と仲良くなることもあれば、親世代の人とともだちのようになることもあります。
ちなみに、このお話のともだちは親に近い世代で、
まだまだ中身がお子さまなわたしからすると、
将来こんな大人になりたいな〜と思うような、筋が通っていながら、広い視野と心を持っている、そんな人です。
わたしのキリスト教の理解
ちなみに、わたしの持っているキリスト教に関する知識は旧約聖書と、新約聖書の一部の話を本で読んだことある、話で聞いたことある、というレベル。
ちなみにこの記事 ↓ に書いてます。
で、わたしのわかっている範囲の、LGBTQとキリスト教の関係性としては、
・聖書には「結婚とは男性と女性の間でするものだ」ということが「離婚してはいけない」とか「不倫は絶対にだめ」っていうのと同じレベルで記載されていると聞いてます。
・毎年、各地のプライドパレードに「同性愛は罪だ」と書いたプラカードを堂々と持って抗議しに現れるタイプのクリスチャンの方々がいることは知ってます。
・バイブルベルトと呼ばれる、クリスチャン色の強いアメリカ中部のいくつかの州では、同性婚が認められていなかったり、LGBTQ当事者が生きにくい環境らしい。
・カミングアウトしたら聖書を渡された(実話。笑)
そんな知識レベルです。
つまり、単純に「LGBTQの存在に否定的なクリスチャンの人たちもたくさんいる」という事実は理解しているというレベル。
で、今回、
クリスチャンの人からしたら、自分の関わる人がLGBTQ当事者というのは、どんな気持ちなのかなー?
と、純粋に気になって、もう直接聞いてみちゃうことにしました。
※もし同じ質問をあなたの周りのひとにする場合はご注意!宗教の話はとてもパーソナルで、人によっては話したくない話題であることもあります。相手に対して失礼にならないように、ちゃんと前置きをしてから聞きましょう。
まずは相手へのリスペクトをしっかりと伝えた上で、質問してみるのがいいと思います。
ともだちの回答「人はみんな多面体である」
冒頭のわたしの質問、
「あなたは敬虔なクリスチャンだけど、ぶっちゃけわたしがレズビアンだっていうことが引っかかったりすることってあったりする?」
に対して、わたしのともだちはこう返してくれました。
「特に何も思ったことないけど、
そもそもひとはみんないろんな面を持ってるでしょ?
レズビアンであることは「あなた」のたくさんの構成要素の一部、一面であって、全てではない。たった一面が自分の考えと違うというだけで、その人を愛せない理由にはならない。
わたしがキリスト教を信じているいうことも、わたしの中のたくさんある面の一面でしかない。
そう考えれば、相手が誰を愛して、誰と結婚していても、どこから来た人であっても、どんな宗教を信じている人であっても、そんなことにかかわらず、自分が大切にしたい、と思う人を愛することができるんだよ。」
泣く!!!
なんちゅう素敵なこと言うてくれるんすかーーーーーー!!!!!
ともだちから返って来た言葉は、
世界平和に繋がるレベルの愛が溢れる言葉でした。
神は「人を愛しなさい」と言っている
というキリスト教の大前提の教えももちろんあり、だからこそクリスチャンにはマザーテレサのような人もいて、人種や身分に関係なく救われた人もたくさんいるわけですが、
こういう風に「偏見なく人を受け入れようという考え方」わたしも見習いたい。
ともだちは、Biracial(2つの人種が混ざってること)な家庭で生まれ育ったことや、これまでいろんな国での生活を経験したりして、とっても人生経験豊富な人だから故に形成された考え方なのかもしれません。
だからこそ、の
一つの宗教を極めつつも、偏見をできるだけ持たずに人と関わろうとする姿勢。
人はみんな多面体。
確かに、そうですよね。
これを読んでくれるあなたや、人生で出会った人たちそれぞれのわたしの印象の数だけわたしの中に面がある、
と言うこともできるし、
自分の中で、あんな自分も、こんな自分もいるなーと自己分析して出て来た数だけわたしの中に面がある、
とも言えると思います。
そのどれか一つが、自分のものと「一致しない」というだけで、「ともだち辞めます」みたいな人がいたら、もはやその人とはご縁がなかったとしか言いようがない。
ですが、まずは自分がそういった偏見によって人を避けたり、知らないうちに傷つけたり、人の意見を真っ向から否定するようなことはしないように気をつけなければいけないな、と考えさせられる回答でもありました。
「食わず嫌い」を減らすことからはじめよう
日本で育つと多くの人は「宗教」に触れることがあまりなく生活します。
いや、本当は触れているけれど、
「宗教」だと認識して関わったり、学んだりする機会が圧倒的に少ない。
神社(神道)とお寺(仏教)の違いすら知らずに、なんとなく初詣に行ったり、なんとなくお墓詣りに行ったり、なんとなくパワースポット目当てに神社仏閣を巡っている人もたくさんいると思います。
そのせい、というのもあって日本では世界3大宗教ですらも、
「なんか怖い」というか、
新興宗教と同じような目線で見ていることが多いように思います。
海外に出た経験があったり、特定の宗教の教えの中で育った人以外は。
わたしも実際にその一人で、海外を経験する前に某宗教団体の関係の方から、
ゴリッゴリの勧誘を受けた経験があり、
「宗教こわっ」
と思ってました。笑
でも、その経験があった上で海外に出たこともあり、
今ではキリスト教の人、ユダヤ教の人、仏教の人、(イスラムの人はまだ直接出会ってないかも?)いろんな人たち出会って、自分でも宗教に関する話を聞いたり、本を読んだりして文化や考え方を学んで、
日本にいて何も知らなかった、食わず嫌いだった自分を思い出すと、ゾッとするほど偏見の塊だったな、と感じます。
今回は宗教の話をベースに書いていますが、
それだけでなく、生まれ育った国や、人種、性別など
無知がゆえにジャッジしてしまうことは多々ありますよね。
もちろん、わたし自身まだまだ偏見を持ってしまっている物事もたくさんあるし、
無意識に人をジャッジしてしまっていることもあります。
それを偏見としてではなく「違い」として受け止める。
十人十色と言うように、全ての人は「違う」のであって、そもそも「同じ」人なんて一人もいないのだから、
「違い」をリスペクトしながら、相手にも自分にもたくさんの面があることをまずは「知ること」。
それが上手にできるようになったら、
きっと自分も楽になり、周りにも優しい対応ができるんでしょうね。
終わりに
長々と取り留めのない話のようになってしまいましたが、これまでなかった目線でLGBTQの体験談をお伝えできればと、この話を書くことにしました。
敬虔なクリスチャンの家庭だけでなく、厳格な両親の元で育って、LGBTQ当事者であることを家族にカミングアウトしたら、勘当されてしまった、というような話も少なくありません。
宗教や教育方針、家柄、人種、性別など、全てはあなたの「一面」でしかありませんし、相手の「一面」でしかありません。
たった「一面」の要素に縛られずに、お互いのたくさんの面に目を向けて、歩み寄っていけるようになれば、自分も楽になり、不必要に傷つく人も減るはずです。
自分自身のためにも、周りのためにも、
少しずつ、ゆっくり、コツコツと、
多面を見つめ、知り、違いを受け入れることを、人生を通して学んでいけたらいいですね。
では!
Have an amazing day!