【人生哲学?】10年前の日記を読みはじめたら死にたくなった話。笑
久しぶりに長期で実家に帰っているので、家中の掃除やDIYリフォームをちょこちょこやってるんですが、
ずーっとほったらかしにしていたある一部を、衝動的に片付けはじめたら、
なんと9〜10年前に書いた日記が出てきました。
書いたことすら忘れていた日記。
恐る恐るひらいてみる。。。
3行読んだら、
死にたくなった。笑
ざっくり感想をまとめると、
22歳の割に無知で子供のような内容。
時期的にアメリカに留学して1年たつくらいの時期。
アメリカ生活に慣れはじめて完全に調子に乗っている。
信じられないくらいLazy。
夢を見失ってウロウロ。
現実を受け入れられずウロウロ。
毎日気持ちは必死だけどその必死さを何に向けていいかわからず空回り。
ちょうど今の奥さんと出会って付き合いはじめて半年ぐらい。
完全に20分先のことしか考えられないチンパンジー脳になっている。
一言で言うと
「人生迷子」
もう、ねぇ。。。
読んでいて痛々しい。泣
見てられない。
ここからずっと人生迷子みたいなもんですが、
この時は人生迷子になってることすら気がついてないレベル。
ほんと若いって、無知って怖い。笑
で、何が一番死にたくさせたかというと、
「今も同じことで悩んでるやんけ」
ということ。
唐突ですが、仏教でいうところの「馬鹿」の解釈は、
「人の悪口を言い続ける人、自分の境遇・現状に不満を言い続けている人」
だそうです。
完全に I am one of them 😩
すこしは成長しているところもある、と自分をなぐさめたいところですが、
「まだ人生迷子で自分自身の現状に不満がある」
「同じことで10年も悩んでいる」
完全に馬鹿の一員です。
と、救いのない話でおわるとこだったんですが、
ここで気が付きました。
いや、まてよ。
「意外とみんなそうなんじゃないか」
「10年どころか20年も30年も悩んでいる人だっているんじゃないか」
「少なくとも、留学したこと、結婚したことには微塵の迷いも後悔もない。当時より人生確実に良くなっている」
「英語は当時よりは確実に伸びているじゃない」
と、死にたくなって底辺までたどり着いたのか、ポジティブな気持ちがプカプカ浮かんできました。笑
人生ってこうやって、
少しずつ、時間をかけて、ゆっくり良くなっていく、
良くなっていると気がつけるようになる、
そういうものなんですかね。
できるものから、小さく、コツコツ。
ときをためて、ゆっくり。
これは、「人生フルーツ」と言うドキュメンタリー番組で密着されていた、
建築家の津端修一さんの言葉です。
答えがあると思い込んで探しているから「迷っている」 のであって、
本当は「答え」なんてなくて、
自分が今できるものを、小さく、コツコツ、ゆっくり毎日続けていくこと、
そして自分の中にたまっていくものを、自分の関わった人たちと分けあっていくことを「人生」って言うんですかね。
そう思うと、ありもしない答えを探すのはやめて、
自分と、自分の関わる人たちに、幸せでポジティブなときがたまっていくように、
今この瞬間を笑顔で生きて行かなきゃいけませんね。
あれ??なんか・・・
死にたいはずが、生きる話になっている。笑
残念な日記による黒歴史の話のはずが、いい話になりました。テヘッ
たまに古い日記を読み返すのも、人生の幸せや成長を感じられる良い機会ということですね。
一回死にたくなるけど。笑
もし、あなたが一度も日記書いたことないのであれば、今日何行かだけでも書いてみると10年後にとんでもない人生の気づきがあるかもしれません。